もう20年以上も前の話になる。
そこはインド。
私は大学の研修旅行でタイに行き、その続きでバックパッカーの体裁で有志達とインドに行った。
ヴァラナシ行きの列車のホームで、私と同い年位の女性がわたしに手を出してきた。
物乞いだ。
片目は潰れて真っ白く濁っている。
よく見ると、瘦せこけた赤子を片手で抱っこしている。
その子は腕がひん曲がっていた。
インドで出会った日本人によると、まだカースト制が色濃く残っているという。
ここで物乞いに産まれたら、代々物乞いになる。
物乞いの親は、子どもの実入りを多くさせてやるため、まだ物心のつく前の幼少の時期に
身体に傷を負わせる。
その傷はひどければひどい程、実入りはよくなるという。

私は、傷のあるものを愛おしく感じます。
それは
事故で負った傷かもしれない
スポーツで負った傷かもしれない
病気で負った傷かもしれない
愛を失って
差別を受けて
父と母が不仲で
大切な人がいなくなって
人から横暴な扱いを受けて
どんなヒトだって傷を負っている
その傷が大きければ大きい程、壮絶な景色が流れているんだろうと
わたしは感じます。
私は、わたしの創る作品に絶望を背負わせます。
その抱えている絶望は、今は傷にしかみえないけれど、
やがて、未来につながる象徴になるのだからと。

さて、インドの話し
高校の頃、歴史の教科書でなんて美しいんだろうと恋に焦がれたタージマハル。
実際に行ってみて、心底幻滅した。
とにかく人が群がっていて、建造物が全く見えてこない。
ただ肉体のかたまりが、グロテスクに絡み合っているイメージ。
それが今、コロナで人がいないという。
ヒトのいないタージマハルは、美しいでしょうね
そこは、愛する女性の霊廟ですから
清
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